2008年11月07日

how are you??

おはようございます。
朝もはよから、パスタを茹でています。
パスタ大好き。

今日は、ちょっくらかたいお話。
人には誰でも「変化」の時期というものが、必ず、訪れます。
赤ん坊が段々と成長し、少年になり、思春期を過ごし、青年へと生まれ変わり、やがて大人となり、酸いも甘いも経験した果てに、死んでゆくのと同じように。
それから逃げることはできないし、そんな「変化」に適応できない人間は、残酷にも人生という長い道から外されてしまうのだと思う。
人を「変える」物事というのも実に様々で、それが必ずしも逆境であるとも限らないし、本人がそれを認識せずに、静かにその時を迎えることだってある。
「変化」の時期は必ず、訪れる。
一言に「変化」と言ってたものの、本人が気付かぬうちに行われる場合もあれば、また時には死の苦しみを伴うことだってある。
その状態に実際なってみなければ想像もつかないことだし、その人が前向きか、そうでないかによって、変化の仕方も変わってくるとも思う。

少し前置きが長かったけど、
今、自分は。やってきた「静かな変化」というものの中で、暮らしています。
本来、人に言うべきことではないのかも知れませんが、自分のやり方はこうです。いつもこうなんです。そうやって成長してきました。思ったこと、感じたことは言葉にして、自分に言い聞かせ、再確認し、それを受け入れてくれる人や、否定してくれる人とも向かい合いながら、さらに自分と向き合いながら、自己嫌悪しながら、右往左往しながら、少しずつ、それに向かう。
不器用なのか、弱さの表れなのかはわかりませんが、誰がなんと言おうが、自分のやり方は、こうです。こういう風にしか、できません。
でも言葉はあくまで「媒体」ですよ?それが全てではありません。
気持ちを「字」、でも「言葉」でも、「唄」でも。一度吐き出さなきゃ、確認できないんですね、自分自身。
しかし、本当に本当に大切なこと、は言葉にできません。


そして最近読んだ本で、とある作家はこう言いました。

〜人間ってのはきっと、常に「今の状態を維持しようとする力」と、「変わろうとする力」の二つにさいなまれて生きているんじゃないかと思う。「変わろうとする力」が強くなると、体は微熱を帯びて熱くなる。熱くなると、心は柔軟になり変容しやすくなる。そういう時期は変化の時期だけど、でも、自分がグラグラしていて危ない時期でもある。この危ない時期を通り越すと、また「今の状態を維持しようとする力」によって安定がもたらされる。そのうちまた「変化の兆し」が現れて、熱が上がってくる。
危うい変化の時期を経験して、人は少しずつ「自我」という自分の殻を固めてゆく。まるで海老が脱皮するみたいに。そうそう、海老は成長するために脱皮する。新しい海老の殻はグニャグニャに柔らかい。固い殻で身体を守っている海老が、成長のために危険を犯して柔らかい殻を身にまとう。きっと海老の内部も「恒常」と「変化」がせめぎあい、海老は成長のために微熱を帯びているんじゃないかとそうぞうしてしまう。〜

「自分という人間」を生きていれば、色々な出来事が、ある。
それに負けないように、飲み込まれないように、本来無力な人間なりに、「変化」を遂げる。

そして自分も今、微熱を帯びながら、グラグラと危なっかしい歩き方で歩いているんだと思う。(俺の場合は酔っ払いが真っ直ぐ歩けない時みたいに、フラフラって言葉のが合ってるか 笑)

往々にして、人は弱い。それは皆一緒だ。
だから「変化」は必要だ。
今、その時期だとして、もし俺がフラフラと良からぬ方向に歩いていたなら、友よ、俺を思い切り殴ってくれ。それだけの覚悟はあるからさ。

そしてそうやってあらたな殻が固まった時に訪れる達成感を、幸福を、夢見て俺は前に進むぜ。

なんちゃって。
要は、生きてれば色々あるけどさ、
みんな諦めずに進もうぜってことさ!

ダッフンダ!




posted by 成田翔一 at 13:59| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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