2010年03月18日

憧れる男

ニュースより。

エルトン・ジョンが「イエスは人間の心の問題を理解した、とてつもないインテリで、同情心を持つゲイだったと思う」と発言。
そのことに怒り狂ったキリスト教信者がYOUTUBEを使って「ELTON JOHN MUST DIE」というメッセージを掲載し、逮捕される。
ちなみにそのキリスト教信者は過激な中絶反対の活動家だと。

まず俺はキリスト教信者ではないし、ゲイの人を否定する気もないし、キリストがゲイだって言われて激怒する気持ちもあんまり理解はできない。
しかしニュースを聞いて。エルトンみたいな影響力のある人間が公の場でする発言にはとても大きな責任を持たなければいけないんだなって感じたことよりも、逮捕されたキリスト教信者の行動に大きな違和感を感じた。

過激な中絶反対の活動家ってことは、「命を粗末にしちゃいけない」っていう信念を持った人だってことだよね?
そんな人がキリストがゲイだどうだって言われたくらいで「エルトンは死ぬべきだ」。
これはちょいとわけがわからない。エルトンの発言の重さとか、キリストが実際にゲイだったかどうかは別として、それはそんなに重要な問題なのか!?
第一そんな発言一つで死ななきゃいけないなら、中絶で亡くなる人の何倍もの人が死ななきゃいけなくなる。
心から「命を大切に」って思うなら、「死ね」という言葉なんて容易に出てこないはずさ。

これはアレ、だよな。
典型的に「思ってること」「言ってること」「やってること」がズレてしまっているパターンだよね。
最近新聞、ニュースなんかで知るネガティブなニュースもたいがいはこのパターンだよね。
嘘ばっかりの政治家のオッサンなんて特にさ。

「考」「口」「行」。
一致させるのって、本当に難しい。
「頭では判ってても、体が動かない」ってことは誰にだってあるはずだしさ。
でもだからこそ、それができた日にゃ、次のステージが待っているかも知れんです。
行ってみたいねぇ。

「幸わせの小道」〜Cocco〜



posted by 成田翔一 at 13:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。