2009年05月12日

影響というものについて

朝6時。
ウイスキーでドロドロに酔うとたまに、こんな時間に自然と目が覚める。軽い吐き気もつきもんだ。腹も減った。

雨の音をききながら少しばかりボーッと考え事をしてみる。

きっと自分にとって意味のないものやことなんてまったく存在しないんじゃないか。なぜだかそういうふうにできているんじゃないか。
本来形もないくらい小さかった肉体は、食ったもんで形を作り成長する。
本来平坦な心は、色んな出来事によって形を変えていく。
本来薄っぺらで表情のない顔は、経験が皺や眼光となって姿を変える。
きっと意味のないことなんて、ない。全てに少なからず影響を受けているのかもしれない。

母親の更年期障害で悩んでいる友人の話や
突然大切な人を亡くした身近な人
仕事帰りに一人で居酒屋で飲む遠く離れた弟や
同じ小説を読んで感動しているおさななじみ
きっと
猛威をふるうインフルエンザや
なんだかわけのわからぬまま辞めていく政治家まで

なんか直接的には自分に関係しないようなことでも、全てが自分っていうフィルターを通して、どこか一つの場所に繋がっているんじゃないかって、そんな気がしたのだ。
だからなにって言われても困るけど、なんていうか、意味のないことはないんだから、無駄にしていい一瞬なんてないのかなって。

きっと天才でもなければ秀才でもない自分は、確固たるオリジナリティーなんてものは元々持ち合わせてなくて、全てのことに影響を受けて、少しずつ心や体や顔を変化させて、周りの人や出来事や芸術なんかに育てられているんだなって。

そしていつもなにかが足りなくてまだまだ発展途上(のはず)な自分
は思ったことをこうして言葉にすることでそれを確認して、ほんの少しの後悔と反省と気恥ずかしさと一緒に、また少し成長できる(はず)。

なんだかわけのわからんことを朝からまだ酒の抜けない脳みそで考えてため息ついてでもそれでいてヨシ今日もしっかり朝飯食って頑張るぞって思えるのです。

要は、日々成長、日々精進、なわけです。

思春期か、俺は 笑

くだらん話に付き合ってくれてありがと。
また明日ね。


posted by 成田翔一 at 06:47| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。