2009年03月03日

病は気から

ガッタ!ガッタ!by ベイグラントのボーカルの人の唄

ボンジュール。
生まれも育ちもフランスはマルセイユのショウイチです。

昨夜は、心の友とお酒を飲みました。
と言っても、自分は禁酒中なので、コーラを飲みました。
それはとてもとても建設的で、有意義な時間でした。

いかに悲しみを乗り越えて人は強く大きく、優しくなっていくか。
物質を手にしないでいかに有意義にお金を使えるか。
そんなことを飽きもせずに延々と話していたわけです。

中でも心を打たれた話を簡単に。
件の心の友には、重度の鬱病の友人がいたらしいです。
十年間、その病で苦しんだその人物は、ヒョンなきっかけから、とある本を読んだそうな。
そこには実にシンプルに、こう書かれていたようです。
「薬に頼らず、自分と向き合うこと。早起きしてしっかりと部屋を掃除して、三食しっかりと摂ること。」
言葉で言ってしまえば簡単なのですが、相当な苦労と努力があったと想像します。
誰でも、心身ともに健康な人でさえ、最大の敵は「自分自身」だろうから。
今、その人物は病院通いもほぼせずに、薬を飲まず、積極的に友人と会し、失ったものを取り戻すべく、前向きに生きているとのこと。

一見シンプルなようですが、この話から、何か大きなヒントを得た気がして、気分はすっかり高揚してしまいました。

そうだよな。俺はまだまだ自分に甘えていたのかも知れない。
しっかりと生活して、しっかりと周りの環境を整えて、なおかつ問題から目をそらさずに、闘う。
それさえできれば、きっと怖いものは、なにもない。

きっとその人物の苦悩の十年間は、十倍以上輝く未来の十年間に形を変えるでしょう。
失ったものだけ、きっと得るものも大きいはずだから。

なにかに逃げるのは、本当に簡単なんだ。
こういう言い方はきっとフェアーじゃないのかもしれないけど、鬱病というものは、目に見えない、心の病だよな?
程度の差こそあれ、心に病みを、闇を、抱えていないない人は、いない。
例に挙げた人物のように、ひとつのキッカケでがらっと意識を変えることだって、できる。
しっかりと意識を持っていないと、キッカケにすら、出会えない。
しっかりと意識を持っていないということは、眠っているのと同じということだ。
結局、いつもいきつくのはこの結論だ。
「全部、自分次第。」

俺も今、偏頭痛や、うまく眠れないことで苦しんでいたつもりだったけど、それは本当に、「つもり」なのかも知れん。なんってことないな。
受け入れてやるよ。楽しんでやる。
それができた時にはきっと、恐れるものなど、何もない。
俺は「病んで」なんていないから。逃げ道なんて、いらん。

なんにせよ、酒を飲まなくても有意義なコミュニケーションができることに、今更気付いた二十七歳、男子。

俺はまた、前に進んだよ。
心の友よ、ありがとう!

そして帰宅し、眠れぬ夜を、小説と過ごす。
光を操り、人々の心を開放する少年の物語。

気がつけば朝、六時半。
うつらうつらしたところで見た夢は・・・

ワンピース実写版 笑
間近で見るルフィーのゴムゴム具合は、感動以外のなにものでもありませんでした。
なんだ!?なんなんだ!?
俺の心理はなんなんだ!?
そうか、きっとこういうことだ。

ゴムのように手をのばせば、誰にだって届かないと思い込んでいる「夢」に、届くのさ。

す て き ★



posted by 成田翔一 at 14:28| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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